マグマ大使のキャストの現在まとめ!マモル役の江木俊夫も調査!

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マグマ大使は、1966年から日本初の全話カラー放送された特撮テレビ番組です。

第1次怪獣ブームの先陣を切り、視聴率は毎週30%を超えました。原作の手塚治虫さんは、実写化に難色を示していましたが、のちに当時の技術力としては最高水準の出来栄えで本当に素晴らしい作品だったと語っています。

地球の創造主アースが、宇宙の帝王ゴアと戦うためロケット人間マグマ大使を作りました。

そんな子供たちに代人気だった「マグマ大使」の主な出演者の現在をご紹介します。

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マグマ大使(声)/金内吉男

マグマ大使は、アースによって作り出された地球の守護者です。

マモルが笛を3回吹くと超音速でやってきました。金内吉男さんは、1957年「劇団ぶどうの会」に入団。女優の山本安英さん、劇作家・木下順二さん師事しています。

その後、多くのテレビドラマに出演、青二プロダクションに移籍後は、声優としても人気を得ました。

洋画の吹き替えでは、さまざまな名優を担当しています。ナレーターやアニメでも活躍されましたが、1992年心臓疾患のため59歳で永眠されました。

モル/應蘭芳さん

モルは銀色のロケットに変身するマグマ大使の妻です。

應蘭芳さんは、イギリス系中国人の父と日本人の母を持ち、ロンドンで生まれました。1957年に日本に移住、ミスコンテストに優勝したのをきっかけに東映に入社しました。

1968年の雑誌インタビューの発言から、「失神女優」と呼ばれるようになり「11pm」 や「プレイガール」などに出演、セクシー路線で人気となりました。

その頃発売されたレコードは内容が過激だったため、2曲続けて放送禁止になっています。1981年に結婚、一時芸能界から離れています。

女優以外の活動として、海と空のダイビング免許を所持、日本落下傘スポーツ連盟の理事を務めたこともありました。

近年は芸能活動に復帰、84歳となった2022年も早朝のクイズ番組や講演会など、マイペースで活動中です。

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ガム/二宮秀樹さん

マモルと触れ合ったマグマ大使とモルの願いにより、アースが作った息子がガムです。

二宮秀樹さんは、NHK児童劇団を経て9歳で大映の専属俳優となっています。1964年に映画デビュー、「座頭市関所破り」に出演しました。

抜群の演技力で大スターのお気に入りとなり、「無法松の一生」「鞍馬天狗」など子供が重要な役となる作品に次々と出演、1966年には「大魔神」の撮影があったため、「マグマ大使」を休演したこともありました。

中学校入学と同時に芸能活動を休止、引退後は、兵庫県の神戸港で船舶事業を展開する「早駒運輸株式会社」で活躍、2022年に67歳となった現在は、代表取締役専務を務めていらっしゃいます。

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ガム/吉田次昭さん

二宮秀樹さんが多忙のため、17話から20話まで代役を務めました。

吉田さんは1966年から子役として活動を始め、12歳で芸能界デビュー、その後は多くのホームドラマや刑事ドラマで、少し影のある青年役を演じるようになりました。

23歳で女優の高沢順子さんと結婚、息子さんが一人誕生しますが離婚しています。ブロマイドの売り上げも上位にランクされ、アイドル的な人気を得ました。

1978年に出演した映画「サード」で好演、キネマ旬報の日本映画ベストワンに選ばれました。年齢を重ねてからは、テレビ時代劇でも活躍、多くの作品に出演されましたが、2001年の2時間ドラマ「わるいやつら」を最後に出演作はありません。

村上マモル/江木俊夫さん

村上マモルは正義感の強い勇敢な少年です。アースに地球の代表として選ばれ、「ロケット型の笛」をもらいました。

江木俊夫さんは、3歳から子役として活躍、14歳でフォーリーブスに参加、アイドルとして人気を獲得しました。

ご家族について多くは公表されていませんが、29歳で結婚、娘さんが一人誕生しています。2002年に「フォーリーブス」を再結成、大盛況となりました。

2022年には二人となってしまいましたが、芸能生活65年を迎え70歳となった現在も、ディナーショーやコンサートで活躍中です。

村上厚/岡田真澄さん

マモルの父で「npi通信社」で活躍している花形の記者です。

岡田真澄さんは、日本人の父とデンマーク人の母を持ち、次男として誕生しています。兄はタレントのEHエリックさんです。

岡田さんは、東宝演劇研究所に入所しましたが、1955年に日活に入社、20歳で「初恋カナリヤ娘」に初出演しました。

ご家族についてですが、25歳で女優パントマイムの米山ママコさんと、37歳で女優の藤田みどりさんと再婚し、3人のお子さんが誕生しています。

60歳で26歳年下の一般の方と結婚、娘の岡田朋峰さんはミスインターナショナルの日本代表となり、現在はタレントとして活躍中です。

岡田真澄さんは、ミュージカルやバラエティ番組の司会など幅広い芸能活動をされていましたが2006年食道がんのため70歳で永眠されました。

村上友子/八代万智子さん

村上友子はマモルの母です。

いつもマモルと夫のことを心配していました。八代万智子さんは、1959年に映画デビュー、二十歳で「海のGメン暁の急襲隊」に出演しています。

その後、注目を集めたのが三十歳で出演したテレビドラマ「プレイガール」でした。五代万智子役が好評となり、映画「現代女同師」で初主演するなど、セクシーアクションスターとして活躍されました。

「プレイガール」が終了した1974年に結婚し35歳で引退しています。

水野デスク/睦五郎さん

総合通信社NPIの水野デスクは、村上淳の上司です。

睦五郎さんは、1955年21歳で映画初出演「沙羅の花の峠」でデビューしています。その後、テレビや舞台にも出演、時代劇中心に活躍されました。

また、1964年の海外ドラマ「逃亡者」のリチャードキンブル役を担当。声優としても多くの作品に出演されています。

様々なジャンルで演じてきた睦さんですが、タレント養成所「テアトルアカデミー」の講師を務め、後進の指導にあたっていましたが、2021年86歳で永眠されました。

木田記者/黒丸良さん

木田記者は、NPI通信社名古屋支局の記者でした。

東京に転属してからは、マモルの良きパートナーとなりました。黒丸良さんは、1959年「新東宝」の映画「九十九本目の生娘」でデビュー。

出演を続けるうちに少しずつ香盤も上がっていきましたが、映画界の衰退は大きく1961年に「新東宝」は倒産、東京放送とフジテレビの出資を受け、テレビ番組制作会社「NAC」となりました。

そんな中、1962年に放送された「柔道一代」のメインキャストだったのが、黒丸良さんです。その後、「NAC」は「国際放映」となり、テレビドラマを量産して行きます。

その後、黒丸良さんはテレビドラマにゲスト出演しましたが、1969年を最後に出演作はありません。

リズ/イーデスハンソンさん

リズはNPI通信社の記者です。

村上厚と協力しながら取材を進めました。イーデスハンソンさんは、1960年に来日、「関西弁を話す変な白人女性」としてテレビ番組に出演、タレント活動を始めました。

日本文化に興味があったイーデスハンソンさんは、人形浄瑠璃に惹かれ1963年には文楽の人形遣い吉田小玉さんと結婚しています。

2年で離婚しましたが、夫や師匠の身の回りの世話をする姿が、日本人以上に日本人らしいと評判となりました。

1986年人権擁護団体のアムネスティ日本支部長を務め、その関係者だった日本人男性と再婚しています。

同じ頃「熊野古道」が通う和歌山県の田辺市に移住。83歳を迎えた現在は、講演執筆を中心に活動しています。

海老名隊長/北島一男さん

海老名隊長は、地球防衛軍「インターナショナルスクランブル」の現場指揮官。

ゴアに対抗するため結成されました。北島一男さんも当時の映画界に翻弄された俳優の一人かもしれません。

映画の大量生産を目論む東映が、「第二東映」を発足、プログラムピクチャーの量産を始めました。

スター候補の俳優や移籍した俳優を使い、多くの助監督が監督に昇進。東映は、月に16本の作品を公開していましたが、映画人気の衰えは止まらず約2年で「第二東映」は消滅しています。

北島さんは第二東映の映画で、4作品にメインキャストで出演しています。その後、テレビ界に転身、「隠密剣士」や「マグマ大使」などに出演されましたが、82年を最後に出演作はありません。

アース/清水元さん

地球を想像し人間を作ったのがアースです。地球を守るためマグマ大使とその家族も作りました。

清水元さんは1937年に劇団「芸術小劇場」に入団。戦時中は移動演劇として活動しています。

戦後は映画にも出演、多くの作品で助演されました。ご家族についてですが、娘の清水マリさんは声優として「鉄腕アトム」を担当、現在も活躍されています。

体格を活かした堂々たる演技で活躍された清水さんでしたが、テレビドラマ「越前竹人形」の出演を最後に1972年胃がんのため65歳で永眠されました。

ゴア(声)/大平透さん

数多くの星を征服してきたのがゴアです。

美しい地球を手に入れるためやってきました。大平透さんは声だけでなくゴアのスーツアクターもやっています。

大平透さんはキリスト教の伝道ラジオ番組「ルーテルアワー」のパーソナリティや、ニッポン放送のアナウンサーを経て、1955年には日本のテレビ史上初となる「スーパーマン」の日本語吹き替えを担当しています。

後に、声優として「ハクション大魔王」「科学忍者隊ガッチャマン」の南部博士「ザシンプソンズ」のホーマー、「笑うセールスマン」の喪黒福造役など、声のスペシャリストとして活躍されました。

俳優・声優と並行して「大平プロダクション」「声優養成所」を設立。後進の指導にも尽力されましたが、2016年肺炎のため86歳で永眠されました。

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