どうもSATORUです。
今回は、最近メキメキと実力をつけてきている山田裕貴さんの高校時代につけられたあだ名の由来について検証してみました。
また、山田裕貴さんの父親の経歴やドラケンPVも公開されましたので、ご紹介します。
それでは、早速いってみましょう~
山田裕貴のあだ名がプリンスの由来は往年のロックスターのあの人?
まずは、山田裕貴さんのプロフィールを簡単にご紹介します。
山田裕貴さんは、1990年生まれで名古屋市出身の現在30歳ですね。
身長が178cmあるんですね。
テレビ越しだと、そんな高い印象ではないですね。
2011年のテレビドラマ「海賊戦隊ゴーカイジャー」で俳優デビューしてますね。
その後も、テレビや映画に数多く出演し活躍されております。
さて、いよいよ本題です。
山田裕貴さんは、6月29日に放送された「めざましテレビ」に、7月9日公開予定の映画『東京リベンジャーズ』に出演する、北村匠海さんと共にVTR出演しました。
インタビュアーから「過去に付けられた1番お気に入りのあだ名は?」と聞かれ『プリンスです』と回答しています。
続けて、「なんでか分からんけど、高校1年の時にこう呼ばれ始めて」と言っています。
私は、何か理由がある筈だと思い、いろいろ考えてみました。
そして、ある画像を発見したのです。
こちらの2枚の写真をご覧ください。
上が、山田裕貴さん、下が、「プリンス」でアメリカのミュージシャンです。
雰囲気が似てませんか?
目の辺りの感じとか。
そう見えるのは、私だけでしょうかね。
当時のお友達に確認してみたいですね。
山田裕貴の父親は元プロ野球選手の山田和利さん
ところで、山田裕貴さんの父親が元プロ野球選手だったことをご存じでしょうか。
山田裕貴さんの父親は、広島東洋カープや中日ドラゴンズで活躍された元プロ野球選手の山田和利さんです。
1983年にドラフト4位で中日ドラゴンズに入団し7年間在籍した後、広島東洋カープへ移籍して5年間活躍されてますね。
ポジションは内野手で、俊足で出塁率の高い打撃力もある選手だったそうです。
31歳の時に再び中日ドラゴンズへ移籍しますが、故障により引退されています。
そして、山田裕貴さん自信もプロ野球選手を目指していたんですね。
小学校時代はリトルリーグでプレーし、中学校ではシニアリーグではピッチャーをしていたそうです。
しかし、「自分はプロ野球選手にはなれない」と諦めてしまい、高校ではやらなかったんですね。
実は、私も子どもの頃はプロ野球選手を目指していました。
小学校から中学校まで続けましたが、高校からオファーが来なかったので、そこで気持ちが冷めてしまい、諦めてしまいました。
なので、山田裕貴さんの気持ちもわかるような気がします。
”ドラケン”山田裕貴×”マイキー”吉沢亮の最強コンビPV公開
いよいよ、山田裕貴さんが出演する映画「東京リベンジャーズ」が7月9日に公開されます。
公開に先立ち、劇中に登場するキャラクターたちの関係性を描いたPV第6弾を入手しましたのでご紹介します。
山田裕貴さんは、「東京卍舎」(トーマン)の副総長・ドラケンを演じています。
他の共演者は、総長のマイキーこと吉沢亮さん、主人公タケミチの彼女だった橘ヒナタを演じる今田美桜さんや、その弟役の杉野遥亮さんなどなど多数出演されます。
楽しみですね。
私も、是非観てみたいと思います。
それでは、最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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